第28回パプアニューギニア慰霊巡拝報告

 長野県ニューギニア会は、東部ニューギニア方面慰霊巡拝を2004年9月4日から11日までの日程で実施した。

  今回は東京、埼玉から2人のゲストを含め総勢19名。高野会長を団長に8日間の日程でニューギニア各地を訪れ ウエワク、マダン、ハンサなど5ヶ所で慰霊祭を行うとともに、小中学校を訪問して現地の人々との友好を深めた。参加した小池会員の報告でお知らせします。

長野県ニューギニア会

東部ニューギニア慰霊巡拝旅程

9月 4日(土)   成田空港集合

            21:20 ニューギニア航空にてポートモレスビーへ 機中泊

9月 5日(日)   ポートモレスビー経由 タリへ  アンブア・ロッジ泊  

9月 6日(月)   タリ発ポートモレスビー経由ウエワクへ          ウエワクホテル泊     

9月 7日(火)   ウエワクにて戦跡めぐり学校訪問、平和公園など2箇所で慰霊祭

                                             ウエワクホテル泊

9月 8日(水)   方面別(ソナム、坂東川、山南)戦跡めぐり ソナムにて慰霊祭、学校訪問

                                             ウエワクホテル泊

9月 9日(木)    ウエワク発マダンへ、戦跡めぐり学校訪問、ヤボブヒルにて慰霊祭

                                             マダンリゾートホテル泊

9月10日(金)    方面別(ハンサ、その他希望地)戦跡めぐり  アワ部落での慰霊祭

                                             マダンリゾートホテル泊

9月11日(土)    マダン発ポートモレスビー経由、帰国へ

             19:55 ニューギニア航空にて成田空港到着

 

 

現地慰霊巡拝に参加して

写真・レポート 小池博之

 

大自然が招く神秘な国PNG              60年前の過酷な戦場は今

 日本から南へ5000キロ。赤道を越えたところに世界で2番目に大きな島、ニューギニア島があります。この島の東半分が日本とほぼ同じ面積を持つパプアニューギニアです。

 今から60年前の太平洋戦争において、この地に18万人を超える日本軍が投入され、熱帯のジャングルで戦いを続け15万人もの将兵が戦死した。

 この南太平洋の戦場で繰りひろげられた、想像を絶する過酷な惨状を知る人はほとんどいなくなり、戦争の悲惨さも風化していく中、父の終焉の地を尋ねる旅に同行できたことは大変意義深いことだった。

 この国では都市部を除き、道路網は未整備で電気、電話、上下水道などインフラの貧弱さは想像を超えるものがあります。 しかし世界でも例を見ないユニークな伝統文化と手つかずの大自然があります。 清涼な空気に満ちたハイランド地帯を歩き、透明度世界一の海に潜り、セピックの大河をくだり、熱帯固有の花や蝶を眺め、フレンドリーな現地の人々の生活に触れてみると、PNGのすばらしい魅力が浮かび上がってきます。

物質文明に浸りきって経済大国を自認する我々に、人間が生きるとは何かを改めて提起してくれる旅であった。  この国を訪れる醍醐味がここにあります。

 

現地慰霊祭と戦跡めぐり   ウエワクからスタートした慰霊の旅

 ウエワクはマダンと共に東部ニューギニア海岸の要衝として、戦時中日本軍の主要な基地となった場所。昭和18年春には第20・41師団の主力部隊をはじめ、県内出身の将兵500余人で編成した猛4642部隊もここに上陸した。

 9月7日午前、ウエワク慰霊の森平和公園で初めての現地慰霊祭に臨んだ。この墓苑はニューギニア派遣軍の全戦没者慰霊追悼のため、昭和56年にPNGおよび日本政府と戦友会によって建立されたもので、広い敷地内には礼拝堂が整備されていた。

  長野県から持参した日の丸とニューギニアの国旗を掲げ祭壇を整え、神酒やお札などを供える。「海ゆかば」のテープ演奏に合わせて黙祷し、国歌を斉唱。 高野団長の祭文・状況説明に続き、宮原会員の読経の中焼香。最後に「ラバウル小唄」と「故郷」を故国への思いを胸に、戦場に散った肉親に届けとばかりに、思いをこめて合唱した。

ウエワク平和の森慰霊公園での慰霊祭

 私たちは帰国まで5回慰霊祭を行った。7日は平和の森公園のほか山間のコイキン観音、8日はウエワク西方約150キロのソナム、9日はマダンに移りヤボブヒル、10日はさらに西方200キロのハンサ湾に面したアワ部落。 それぞれの慰霊祭で遺族代表が挨拶した。

60年前の悲惨な戦場に思いを馳せ、正義を信じて熱帯の密林で戦死した将兵の霊よ安ららかにと祈りながらも、無謀な戦争への消しがたい怒りがこめられていた。

 慰霊に向かう途中、私たちはいくつかの戦跡を訪れた。

ソナム近くのブーツ、マダン近郊の旧日本軍飛行場跡、師団司令部があったミッションヒルの高射砲陣地跡など、いずれも半世紀を越える歳月を重ね、無残な姿で朽ち果てようとしていた。

 かっての戦いの庭で、わずかに原形を留める兵器の残骸と向き合うと、日本から5000キロ離れたこの地で、孤軍奮闘して散華した兵士らの熱い思いが、いまだに生き続けているかのような幻覚をおぼえた。

ウエワク・ミッションヒルの高射砲陣地跡

 

PNGの人々との友好   学校訪問と集落での触れ合い

 今回の旅で私たちは3ヶ所の小中学校を訪問して、先生や児童生徒らと友好を深めた。

その中でも印象的だったのは、ソナムの小中学校の訪問だった。 ここソナムはウエワクの西方約150キロ。昭和19年春、アイタペに上陸した米軍に対峙するため、数万の兵士が激しい戦闘を繰り広げ、敗走の末、飢えと病で全滅状態となった場所だ。

 椰子の林を切り開いた敷地に校庭を囲んで校舎が建てられていた。 日本政府の援助で造られたという建物は、窓にはガラスはなく高床式のまったく簡素なものだ。

校長先生の出迎えを受けて芝生の校庭に、児童と私たちは対面の形に並ぶ。日本から持っていつたノートやサッカーボールを贈呈した。

 1年生から8年生まで約200人ほどの児童らは目を輝かせて、歓迎のナショナルソング(PNGの国歌)を歌ってくれた。 電気も電話もない密林の中の学校とはいえ、子供らの服装はカラフルで個性的かつ清潔だつた。 前触れもなく訪問した私たちを応対してくれた校長先生は、ワイシャツにきちんとネクタイを締め、終始にこやかなかに威厳を保っていたが、その姿に次代を担う若者を預かる、この国の教育者としての崇高な心意気を感じた。

校庭に整列するソナムの小中学校の児童

 

最後の楽園、民族文化と自然観察  標高2000mのタリ高原

 旅の楽しみの一つは、現地の自然と伝統ある民族文化に触れることです。 

パプアニューギニアは熱帯雨林から標高2000mを超える高原地帯まで、豊かな自然が展開している。 パラダイスバードという名前を持つ極楽鳥や、世界最大の蝶・トリバネアゲハ、それに珍しい野生蘭の固有種も多数く見られます。

 ハイランドと呼ばれる高原地帯は、近年リゾート地として注目を集めており、私たちは今回ポートモレスビーから国内線で約1時間30分のタリを訪れた。この地はどこか信州の高原を彷彿とさせる風景の中で、鮮やかに咲き誇る花に囲まれた茅葺き屋根のコテージで寛いだ。

 このタリ盆地に住むフリ族は、特有な民族文化を伝えているが、中でもシンシンと呼ばれる舞踊には強い印象を受けた。 もともとは戦いを前に、士気を鼓舞するための踊り・儀式とされているが、顔に黄色と赤のパックを塗り全身を飾り立て、ハンドドラムを打ち鳴らしながら集団で鬨の声を上げ、飛び跳ねるように踊る様は、驚きと神秘的な感動を呼び起した。 正にこの国の民族の底知れぬパワーが満ち溢れていた。

タリ高原・アンブアロッジの朝 迫力満点のフリ族のシンシン

以上

 

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