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慰霊巡拝

第36回 東部ニューギニア慰霊巡拝団派遣事業報告(2015年8月)

長野県ニューギニア会は、東部ニューギニア慰霊巡拝団派遣事業を平成27年8月22日から29日まで8日間の日程で実施した。

今回の訪問団員は総勢12名。栃木県護国神社との共同事業として催行した。長野県からは五明良平、京子夫妻(長野市)本田昌彦、祥子夫妻(青木村)の4名。それに山岸幸子、靖志さん母子(東京都)竹澤一重、キョ江さん夫妻(鹿沼市)三浦弘美、由美子夫妻(本巣市)、中山郁栃木県護国神社宮司、高橋WBC社長が参加した。

慰霊巡拝団はニューギニア航空の直行便で首都・ポートモレスビーに入り、ウエワク平和公園慰霊の森において、全ニューギニア戦没者の合同慰霊祭を行った。その後ウエワク地区に4日、マダン地区に2日滞在し、肉親が眠る各地で慰霊式を行い、戦跡めぐりや、現地の小中学校を訪問して、学用品などを贈り友好親善を深めた。

第36回 東部ニューギニア慰霊巡拝報告

派遣団長
長野県ニューギニア会長 本田 昌彦

■ はじめに

長野県ニューギニア会による現地慰霊巡拝は、第1回の昭和52年から始まりほぼ毎年実施され、今回は36回となりました。

数年前より参加希望者の減少により、単独で催行することが困難となり栃木県護国神社と連携して共同催行が行われております。

今回は遺族関係者が10名、4組のご夫妻と1組の母子に加えて、中山宮司(国学院大准教授)と添乗員の高橋WBC社長の総勢12名でした。このうち初参加は6名、数回以上の経験者6名とバランスも良く、家族のように和気合いあいとした雰囲気の中で慰霊の旅ができました。

以下、日程に従いご報告いたします。

8月22日(土)
午後9時、ニューギニア航空直行便にて一路ポートモレスビーへ(機中泊)

8月23日(日) ウエワクへの移動と慰霊祭
(1) 午前5時 ポートモレスビー・ジャクソン国際空港着。空港に降り立ち内外とも5年前に比べ格段に整備されており驚かされる。
空港近くのホテルで朝食後両替、1キナ50円と5年前より20%も高くなりびっくり。

(2) 午前8時過ぎ 国内便でウエワクへ移動
ウエワクでのホテルはイン・ウエワクブティクホテル(昨年7月安倍首相夫妻が同国訪問の際利用した)

(3) 午後 ウエワク平和公園の慰霊碑の前にて全ニューギニア戦没者合同慰霊祭を行う。

中山宮司の祝詞奏上に続き、本田、山岸、三浦の3名が追悼のことばをささげ、全員で「ふるさと」を献歌として斉唱。厳粛の中に先の大戦においてこの地で散華した15万人の御霊の安らかなることを心からお祈りした。

8月24日(月) ウエワク近郊での巡拝と慰霊式
(1) モロネ集落、八幡山陣地跡での慰霊式
ウエワクから南東へ車で約30分、竹澤さんのお父さんゆかりの地で慰霊式を行う。ご夫妻は10年前からこの地を訪問、現地の住民とも顔なじみが多く友好を深めた。

更に、山岸さんのお父さんが亡くなられた八幡山の麓においても簡素な慰霊式を行う。

また、近くのトモロー・プライマリースクールを訪問して、持参した学用品を校長先生に渡し喜ばれた。

(2) 午後はコイキン・マリックの観音像前にて慰霊式。県ニューギニア会が昭和55に建立した観音様の周辺は、きれいに手入れがされており、管理をお願いしているバカラーさんの娘さんにお礼の品を渡した。また、三浦さんの叔父さんの終焉の地「海軍橋」付近において慰霊式を行う。この後、洋展台、高射砲陣地跡を巡る。

(3) 川畑さん経営のニュー・ウエワクホテルにて夕食会。
ホテルはリニュアルされて見違えるほど綺麗になっており、マグロ、エビフライなど和食に舌鼓を打ちながら、お元気な川畑さんとの楽しいひと時を過ごした。

8月25日(火) ウエワクから西方面への巡拝と慰霊式
(1)70余年前、アイタペ作戦のため日本軍が展開した海岸沿いのボイキン集落、ブーツの旧飛行場跡において焼香。

(2)ソナムのニューギニア会建立の墓標前で慰霊式
五明さんの長兄が亡くなられた地で、慰霊式を執り行う。昭和19年7月、最後の作戦・アイタぺ攻略に参加した多くの将兵がこの付近で亡くなった。五明さんは永年の念願がかない、位牌に魂を入れ、郷里へ持ち帰られた。

8月26日(水)ウエワク南東セッピック河畔・アンゴラム、カンバランバ方面
(1) アンゴラム(ウエワクより車で約3時間、セピック川中流域の船着き場)
車2台に分乗し、悪路に揺られながら昼前に到着。コンクリートの大きな船着き場が作られ大型船の停泊も可能となっているのに驚かされる。

(2) カンバランバ(セピック川上流、船で約40分の集落)
この集落では、上陸早々に伝統の民族踊り(シンシン)で歓迎を受ける。ワニの精霊の面をつけた踊り手を中心に、老若男女が激しく踊り続けるは迫力に圧倒される。

川幅約1kmにも及ぶこの大河は、先の大戦においてマダンからウエワクへの行軍の際、最大の難所であり、多くの犠牲者が出たところ。ゆったりと流れる川面に往時を偲ばせるものは見当たらなかった。

8月27日(木)マダンへ移動、近郊の慰霊巡拝
(1) マダンリゾートホテルで朝食後、ヤボブヒルで慰霊祭を行う。
今回のメンバーの中にはゆかりの人はいないが、この地で亡くなられた御霊に安らかなれと祈りをささげた。この慰霊地の周辺は当時、兵站病院があった場所であるが、慰霊碑周辺は荒れ果てており、70年の歳月の流れを実感した。

(2) マダン近郊の北飛行場、アレキスハーヘン、アムロンの第18軍司令部跡などの戦戦跡を巡り、マダン湾が一望できる高台でハンサ、ウエワク方面に向かい最後の慰霊式を行った。

8月28日(金)マダン湾クルーズと近郊の観光
マダンはビスマルク海に面した美しい街で、人口は約3万人。湾内には小さな島々が点在し、変化に富んだダイビングスポットもあり、PNG有数のリゾート地として知られる。

マダン湾内のシアラ島にある戦跡を訪ね、島の長老・サイモン夫妻の出迎えを受け、大発(ダイハツ)の残骸や地下トンネルの跡などを巡った。

午後は、近郊のハヤ、ヤオ、オペ集落を訪問して現地の住民と親しく交流した。
夕食はホテルで「さよならパーティー」を開き、1週間の出来事を語り合い、盛り上がった。

8月29日(土)マダン・ポートモレスビー・成田空港移動
マダンから国内線でポートモレスビーに移動。市内のオーストリア軍戦没者墓地・ポパナを訪れ、整然と整備された墓地に黙とうを捧げた。国会議事堂、マーケットなどを見学、午後2時、ニューギニア航空で帰国の途へ。成田空港着午後8時。

 

■ おわりに

今回の慰霊巡拝は、5年ぶり8回目の参加でしたが、パプアニューギニアの変貌ぶりに驚かされました。しかしながら、この国の豊かな自然と、素朴で温かい国民性など変わらない良さも感じてきました。

高い経済成長に支えられ、都市部(ポートモレスビー)のインフラ整備が急速に進展しています。

近年天然資源(液化ガス、金、銅、ニッケル)の開発が進み、経済成長率も20%程度に達し道路、港湾、空港などへの投資が盛んになっています。

貨幣経済も進展し、その結果、物価の上昇が急激に進み、通貨キナは1キナ=50円と数年前に比べ20%くらい上昇しています。例えばホテル代は一泊3万円位、コーヒーのブルマン1袋900円前後と、かっての2倍以上の値上がりとなっています。

こうした物価の上昇に伴い、貧富の格差が進み治安の悪化が懸念されるとのことでした。

今回の慰霊巡拝の旅で出会った、現地人の心のこもった温かい対応と、純朴で人懐こい子供たちの姿はこれまでと少しも変わっていません。人々の対日感情は極めて良く、休憩先などで車を止めると、マンゴーやバナナなどの果物を差し入れてくれる優しい心根が嬉く、感動を覚えました。

今回の慰霊巡拝は、長野県ニューギニア会と栃木県護国神社との共同で催行しました。
この事業は、夏の戦没者慰霊大祭と共に当会の主要事業であります。
戦後70年が経過し、会員の減少も心配されますが、今後もできるだけ長く続けていきたいと考えております。

そのためには初参加者の掘り起こしと、リピーターの皆さまへの働きかけが必要となりますので、引き続き会員の皆様のご支援とご協力をお願いいたします。

合同慰霊祭で追悼のことばを捧げる本田団長(ウエワク平和公園)
合同慰霊祭で追悼のことばを捧げる本田団長(ウエワク平和公園)

 

コイキン観音像前での慰霊式に臨んだ参加者
コイキン観音像前での慰霊式に臨んだ参加者

 

ニューギニア各地10カ所で慰霊式を行う(祝詞を奏上する中山宮司)
ニューギニア各地10カ所で慰霊式を行う(祝詞を奏上する中山宮司)

 

ウエワク近郊の小学校を親善訪問、児童と交流した
ウエワク近郊の小学校を親善訪問、児童と交流した