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第55回ニューギニア方面戦没者慰霊大祭報告 (令和5年7月30日開催)

長野県ニューギニア会主催第55回ニューギニア方面戦没者慰霊大祭は、7月30日松本市美須々の長野県護国神社において厳粛に斎行された。

新型コロナ禍のため三年間にわたり、参加人員の制限などにより会員の皆様にはご迷惑をお掛け致しました。感染症法上の規制が緩んだことから、従来の規模に戻してご案内を致したところ、国会議員、県会議員の皆様、松本市長、県遺族会代表などご来賓を含め五十余名の参列を頂き、先の大戦において、ニューギニア島およびその周辺で、散華された県内出征・三千四百七十四柱のご英霊の冥福を祈った。

慰霊祭は午後1時、気温35度の猛暑日の中、神社本殿において大太鼓の合図で始まり、英霊に黙祷、国歌演奏、修祓と続き、奥谷宮司が祝詞を奏上した。続いて、本会を代表して小池会長が神前に進み祭文(詳細別掲)を奏上した。
次いで臥雲松本市長、池内県遺族会副会長が慰霊の言葉を述べた。また、来賓を代表して、井出庸生文部科学副大臣が挨拶した。

 

祭文

本日ここに、長野県護国神社の大前において、「第55回ニューギニア方面戦没者慰霊大祭」が厳かに挙行されるに当たり、本会を代表して、わが国の南方遙か、五千キロのニューギニアの地で、散華された三千四百七十四柱のご英霊に、謹んで祭文を奏上いたします。

顧みますと、先の大戦が終結してから既に七十八年の歳月が過ぎようとしております。

思えば、戦没者諸霊は、わが国の危急存亡の戦役に際し、我が身と最愛の家族を顧みず、ひたすら祖国の安泰と平和を願いながら、国のために命を捧げられました。

ニューギニアでの戦いは、八十年前の昭和17年七月、南海支隊のポートモレスビー攻略戦に始まり、アイタぺ作戦で組織的な戦闘を終わり、終戦を迎えるまで、三年の長きに渡り、人間が絶えうる限度をはるかに超える、苦難に耐えながら、十二万七千余名の若い命が密林の中で無念の涙をのんで倒れていったことを、私たちは、決して忘れることはありません。

本日は、熱帯のかの地を思わせる、ここ護国神社の社頭に集い、霊前に額ずき、在りし日を偲びますとき。今なお、新たな悲しみと痛恨の情を禁じ得ません。

私ども遺児は、戦没した父の享年の二倍半を超える、八〇歳の年齢となりましたが、父への尊崇と追慕の気持ちはいささかも変わることはありません。ひたすらご冥福をお祈り申し上げます。

わが国は、大東亞戦争後、これまで七十八年間、一度も戦争をせず、平和を享受してきました。明治維新後、先の大戦まで七十年間に、五度もの戦争を経験したことを思うと、まさに奇跡とも言えます。しかし、世界の多くの国や地域では、悲惨な戦争や紛争が多発し、今も繰り広げられており、恒久平和への道のりの厳しさを痛感しています。

結びに、今日、平穏な日常生活を享受できますことは、戦没者諸霊の尊い犠牲の上に築かれたものであることを、忘れることなく、改めて御霊に尊崇の誠を捧げ、感謝の意を表して、祭文といたします。


令和5年7月30日 
長野県ニューギニア会長
小 池 博 之

 

護国神社境内の『嗚呼戦友の碑』
護国神社境内の『嗚呼戦友の碑』
周辺樹木の剪定・刈込などが終わり、整備され慰霊碑